藤田嗣治展―東京都美術館―

「乳白色」の裸婦、パリでの華々しい成功。

自分が最初に持っていた藤田への印象は、その程度の簡単なものであった。

しかし、大学の学芸員課程で藤田展準備の手伝いをしたとき、彼の人生、その明暗に人間としての魅力を感じた。

 

本展は、藤田の画業を通して、彼の人生を俯瞰する構成となっていた。

美大生時代の外光派に影響を受けたころの作品、その後パリで独自の表現を発見し成功をつかむこと。その後、1930年代に北米・中南米・アジアを旅して新たな表現を模索したこと。第二次世界大戦下、作戦記録画を軍のため、そして自分の表現への挑戦として描いたこと。戦後は、国内で非難を浴びたこと、NYへ、さらにパリへと移り住み、フランス国籍を得てその地で召天したこと。時系列順に絵画が程よい間隔で並べられており、前後のつながりも分かって、楽しく鑑賞することができた。

 

作品には藤田がその時々で感じたことや、影響を受けたものの、痕跡が残されていた。

そこから、生きた人間としての藤田を感じることができた。静かな作品の中に、美術へのひたむきな情熱が見えた。

 

また、社会と美術は切り離せないものなのだと感じた。

そもそも、人間が作り出すものを鑑賞しているのだ。当たり前だ。

本展は解説で時代背景が説明されており、当時の風景や空気までも伝わってくるようであった。特に、「アッツ島玉砕(1943)」からは、戦時中の異様な、狂気ともとれる高揚感が伝わってきて、とても恐ろしかった。これを民衆が受容し鑑賞していただなんて、とても信じられなかった。

 

画家が残した、日記やスクラップ帳の展示があったこともよかった。彼がどのような日々を過ごし、どのように社会との繋がりを持ったのかを考えることができるから。

 

晩年の彼の作品には、多くの子供が登場する。モデルのいない空想の子供たちは、パリへ渡った初期の作品に登場する少女・女性に似ているように感じた。変化と進化を続けた画家の飾らない本質を見た気分になり、とても穏やかな気持ちになった。きっと、フランスの農村で過ごした晩年は穏やかで、幸せなものだったのだろう。後悔が一つも残らない生涯を送る人間はいないが、自分自身と向き合って最後を迎えられる人生は良いなと思った。

 

 

P.S. 「私の夢(1947)」は藤田が描いた涅槃図のように思ったのだけど、どうだろう。とても気に入った作品です。

 

展覧会HP:  http://foujita2018.jp/