切手博物館へお散歩!

眩しい冬の日に、切手博物館へ行った。目白の静かな街並みに佇む博物館は、近づいてみると不思議な世界観だった!

 

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楳図かずおのポストから強い視線を感じつつ、人物のシルエットが指し示す方へ進むと、小さな竹林があり、さらに進むと水が湧き出る壺がある。

 

可愛らしい看板が置かれた受付へ、ワクワクしながら受付に向かった。因みにこの博物館は、入館料を切手で払うことができるという、マニアにたまらない仕組みがある!

 

訪れた際の展示は、世界中のフクロウがデザインされた切手が集められたもので、大変興味深かった。同じフクロウの切手でも、各国のデザインには多くの特徴が見られた。

 

印象に残ったものは、リスやネズミを捕まえる瞬間や、それらを食べているところなど、フクロウの猛禽類としての一面がデザインされているものである。日本の可愛くキャラクター化されたものや、美しく枝に佇むデザインと比較すると、国によってフクロウがどの様な存在として捉えられているかが分かり興味深かった。

 

また、切手や郵便の魅力を伝える展示もあった。フクロウに関連する風景印が並べられた展示では、風景印の楽しみ方が説明されている。(私は新しい扉を開きました!)

 

常設展では、切手がイギリスで生まれた経緯から、その発展の歴史が俯瞰できる。

 

興味深かった点は、

•そのコレクション性に目をつけた社会主義国や小国が美しいデザインの切手を作りビジネスとしたこと、

•戦争の時代では、各国が国威を示す場として切手のデザインを利用したこと、である。

 

切手の小さな四角形の中には歴史と、人々の思いが詰まっている。そして、現在も発展し続け、面白いデザインがどんどん生み出されている。その情熱の一端に触れることができる良い機会となった。

 

 

 

 

P.S.ミュージアムショップでは、良いコレクションとなりそうな各国の切手が売られており、各国の切手を手に取ることができる。そちらも、本当に面白かった。

 

篠原千絵原画展!

池袋の西武百貨店で開かれている、篠原千絵原画展に行ってきた。

 

高校生の時に「空は赤い河のほとり」を友人から借りて、そのストーリーと美しい絵の両方に圧倒された。

 

知識欲が刺激される、時代考証がきちんとされたストーリー!高校生の時に、ナショジオのバックナンバーを探してヒッタイト帝国の記述を探したことを思い出した。

 

本展では、「空は赤い河のほとり」連載時のグッズや、企画されたトルコツアーについての資料もあり、当時の熱気を感じることができた。リアルタイムだったら、絶対申し込んでた....

 

また、先生について(どうしてヒッタイト帝国に興味を持ったか、来歴、その他の作品 etc.)なども俯瞰することができ、原画展に行ったことで再度作品を読み返したくなった。現在連載中の「夢の雫、黄金の鳥籠」も、歴史物で面白そうでした!

 

個人的に一番印象に残ったのは、タイムラプスで先生の作画を見ることができる展示だ。(途中で猫が通ったのが面白かった🐈)

 

P.S. 作中のキャラへの憧れを呼び起こされて、伸ばしていた前髪を切ってしまった....

 

三鷹の森ジブリ美術館へ!

天気の良い日に、ジブリ美術館へ行ってきた。何度も行ったことがある場所だが、行くたびに色々な発見がある。物語の断片を随所に感じられる館内の工夫は、本当に美しいと思う。

 

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展示は、映画制作に関する常設展と、ジブリ作品に描かれる食べ物の企画展の二本立てだった。常設展では、映画制作の流れを家主のいない部屋辿りながら、壁にある張り紙などから説明を受ける。

 

手書きの張り紙や、小ネタが沢山あり、館長である宮崎駿監督から直接語りかけられているようだ。

 

ジブリ美術館の好きな点は、見る人の解釈に任せた展示を行っていることだ。

展示ルートを明示せず、キャプションも様々な場所に配置されている。一度に全てを見ることは難しい。展示作品を一つ一つ説明し、学芸員の示すルートに従って会場を回る、多くの美術館のスタイルとは異なるものだ。

 

一見、ジブリ美術館は美術館というより、テーマパーク的な側面が強いと思うかもしれない。しかし、実際は来場者が自分自身で楽しみながら学ぶことができるコンテンツを用意し、自発的な学びを提供している。

 

迷子になろう、という館長のコンセプトは、館内を自由に迷いながら、自分で得られるものを探して欲しいというメッセージではないか。

 

興味のあることを自分自身で発見し、じっくり見ることは、知を育む重要な過程である。それは、彼らの映画作品に通じるものがあると同時に、美術館の教育機関としての機能を効果的に果たすアプローチであると思う!

 

なんて、考察はさておき、とっても面白い場所ですよ。私のお気に入りは、シアターと中庭です。もちろん、レストランも好きです。

 

今回はなんと、約二時間も!ならんでケーキを食べました。流石に、意識が朦朧としました。

 

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写真は、ばあばのレモンケーキです。

ばあば、とはどちら様でしょう?という疑問はさておき、レモンの爽やかさと、皮のほろ苦さが感じられる、とても美味しいケーキです。

 

 

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最後に、ルネ•マグリットのようなトトロ!

トトロが我々とは違う世界に生きていることを、しみじみと感じました。最高にファンタジーだね!

 

それでは、また!

 

 

 

 

雨の日の岡本太郎記念館

雨の日の午後、岡本太郎記念館へ行ってきた。

存在はずっと知っていたが、不思議なことに訪れたのは初めてだった。

彼についてや、その作品についての知識がなかったが、その不思議な世界を覗いてみたい、そんな気持ちに急になったのだ。

 

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住宅街の中に突然現れた不思議なマーク!とてもワクワクする。敷地に入った瞬間に、ああ、ここは生前のアトリエ兼自宅だったのだろう、と思った。そう思えるような場所だった。

 

一階のアトリエには、作品とともに作家の個性が感じられる空間が広がっている。絵筆が無造作に並べられていたり、壁一面に大判のキャンバスが立てかけてあったり、岡本太郎が作品を生み出していた場所に足を踏み入れることができる。

 

部屋の片隅に置かれたピアノを見つけた時は、作品製作中にたまに弾いたりしたのかな、など想像して面白かった。一つリクエストするとするならば、記念館として利用されてる現在と、岡本太郎が自宅として利用していたころの比較が出来る写真パネルなどがあればな〜

 

小物の配置も生前の頃と変わらないのだろうか。あんな場所で暮らしたら、日々楽しいだろうな。

 

二階にはギャラリーがあり、企画展示を見ることができる。訪れた日は「太陽の塔への道」展が開催されており、1960年代の大阪万博以前の岡本太郎の芸術に注目した展示を見ることができた。

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彼の油絵作品を見たことがあまりなかったので、新鮮だった。色使いや不思議なタッチ、筆の流れで描かれた絵は、鑑賞者がそれぞれの角度で楽しめて面白い!

見る人によって、色々な感情が読み取れるんじゃないかな〜。友達と行ったりして、意見を言い合うのも楽しそうです。

 

そして、最後に立体作品が楽しめる庭エリアへ。

南国風の葉の大きな植物の間から、にょきにょきと生えるように作品が配置されている。

まるで生きているかのようだった。

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よく観察しないと見つからないような場所にも!

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自然と融合することによって作品に命が宿ってる感じがした。

作者が他界した後も、人々に愛される作品ってそれ自体に命というかパワーがある気がします。

目を離したら動き出しそう...

 

岡本太郎記念館HP: http://taro-okamoto.or.jp/

(館内撮影自由)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

藤田嗣治展―東京都美術館―

「乳白色」の裸婦、パリでの華々しい成功。

自分が最初に持っていた藤田への印象は、その程度の簡単なものであった。

しかし、大学の学芸員課程で藤田展準備の手伝いをしたとき、彼の人生、その明暗に人間としての魅力を感じた。

 

本展は、藤田の画業を通して、彼の人生を俯瞰する構成となっていた。

美大生時代の外光派に影響を受けたころの作品、その後パリで独自の表現を発見し成功をつかむこと。その後、1930年代に北米・中南米・アジアを旅して新たな表現を模索したこと。第二次世界大戦下、作戦記録画を軍のため、そして自分の表現への挑戦として描いたこと。戦後は、国内で非難を浴びたこと、NYへ、さらにパリへと移り住み、フランス国籍を得てその地で召天したこと。時系列順に絵画が程よい間隔で並べられており、前後のつながりも分かって、楽しく鑑賞することができた。

 

作品には藤田がその時々で感じたことや、影響を受けたものの、痕跡が残されていた。

そこから、生きた人間としての藤田を感じることができた。静かな作品の中に、美術へのひたむきな情熱が見えた。

 

また、社会と美術は切り離せないものなのだと感じた。

そもそも、人間が作り出すものを鑑賞しているのだ。当たり前だ。

本展は解説で時代背景が説明されており、当時の風景や空気までも伝わってくるようであった。特に、「アッツ島玉砕(1943)」からは、戦時中の異様な、狂気ともとれる高揚感が伝わってきて、とても恐ろしかった。これを民衆が受容し鑑賞していただなんて、とても信じられなかった。

 

画家が残した、日記やスクラップ帳の展示があったこともよかった。彼がどのような日々を過ごし、どのように社会との繋がりを持ったのかを考えることができるから。

 

晩年の彼の作品には、多くの子供が登場する。モデルのいない空想の子供たちは、パリへ渡った初期の作品に登場する少女・女性に似ているように感じた。変化と進化を続けた画家の飾らない本質を見た気分になり、とても穏やかな気持ちになった。きっと、フランスの農村で過ごした晩年は穏やかで、幸せなものだったのだろう。後悔が一つも残らない生涯を送る人間はいないが、自分自身と向き合って最後を迎えられる人生は良いなと思った。

 

 

P.S. 「私の夢(1947)」は藤田が描いた涅槃図のように思ったのだけど、どうだろう。とても気に入った作品です。

 

展覧会HP:  http://foujita2018.jp/